とあるツイートを傍観してて思った。
いくら相手の顔が見えないとは言え、
その当事者に直接的な暴言を吐くのは良くないです。
ツイッターは便利なツールだから
そういう意味では
その言い回しがダイレクトに伝わってしまって
それをモロに受けた場合には
絶対的に感情に身を任せてしまうんです。
ブログのコメント欄も同じ。
討論する事はいいのかもしれないが
粗暴な言葉を使った瞬間に
それが戦(イクサ)になってしまう。
例えば、
雇用主VS被雇用主の討論は
結果的に直接話し合わないと解決しない。
例えば、
東京VS大阪の討論は
結果的に直接その地に行かなければ双方の良いところは見えてこない。
今回、傍観させてもらった件は、もちろん上記2点とは異なりますよ。
念のため。
(笑)
戦いになったとしても
殴り合ったとしても
そこに『真摯なる言葉』が存在しないと
痛い目に合うんです。
殴り合えば『親友』になる理論は
そこに重要な意味なんてなかった幼少期で終わりです。
「てめ〜どこ中だよ?」「は〜?おめーこそどこ中だよ?」
ぐらいの時期で終わりです。
理論武装した殴り合いの果ては
イヤ〜な後味を残すんです。
粗暴な口ぶりをしたら
それを素直に認め謝らないとダメです。
大人になった今。
戦わなくちゃならない瞬間は多くなりました。
が、
その『戦い』の中で忘れちゃいけないのは
ロジックだけじゃない、
ある種の『愛』を数パーセント持てるかだと思います。
以上!
やはり思う。愛こそすべてと!